『銀河鉄道の夜』宮沢賢治
【銀河鉄道の夜】
言わずと知れた宮澤賢治の名作童話。
毎年夏の文庫が出始めると、色々な装丁・表紙の本作が出て、思わず表紙買いしたりしてしまいます。
というか夏の文庫フェア大好きです。
宮澤賢治は宮崎駿や小林賢太郎も影響を受けた人物なので、
まぁその2人が好きな私は必然の様に宮澤賢治も好きなのです。
それはさておき、『銀河鉄道の夜』は孤独な少年ジョバンニと友人カムパネルラが銀河鉄道の旅をする物語ですな。
解説は大体ネタバレなので一応伏せる。
豊かなオノマトペや自然描写や天体への豊富な知識と表現。
賢治の魅力たっぷりな「銀鉄(略)」単に童話としてしみじみと読むのもいいですが、本当の幸(さいわい)についての幸福論、大切な人が居なくなるという死生観の話として読むのも一興。
大人になって色んな経験をすればする程物語の深淵が見えるようで何度も何度も読み直してしまいます。
宮澤賢治が作る、
コスモポリタン的な博愛や贖罪感や自己犠牲精神の感じられる物語は道徳観の育成に役立った気がする。
最後に銀河鉄道の夜でなんとも好きな一節を。
「カムパネルラ、
また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。
僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」
カムパネルラの眼にはきれいな涙が浮かんでいました。
けれども本当のさいわいってなんだろうね。
国語の教科書で読んで以来久しい方はこの夏是非宮澤賢治作品に再び出会ってみてはいかがでしょうか。
ちょうど「グスコーブドリの伝記」の映画も始まりましたしね。観に行きたい。
クリスマス
帰り道の途中の保育園からクリスマスソングが聞こえてきて、ケーキ売り場の子供たちの笑顔もいつもより輝いていて、なんだか微笑ましい気持ちでいっぱい。
あの笑顔のためにクリスマスが必要なら、クリスマスの中止は中止です。
大人になればなるほど偏屈で理屈っぽくて自分を守る事に必至な頭でっかちの人間になりがちだけど、自分や世界の現状とか禍福とか貧富とか色々考え含めても、とりあえず目の前の子供の笑顔を守れない大人にだけはなりたくないなぁと常々心から思います。
クリスマスなんて一体なにが日本人に関係あるのか分からないけど子供が笑顔ならオッケーです。
ついでにおもちゃメーカーもケーキ屋もチキン屋もにっこりです。
サンタクロースになれるかもしれない。
「ペンギン・ハイウェイ」 森見登美彦
京都も、底辺大学生も、黒髪の乙女も、堅苦しい文体も出てこないけど、まごう事なき森見作品です。
森見登美彦作品はどれも好きなのですが、今回のいつもと少し毛色の違う作品で何で好きなのかわかった気がします。
漱石のような軽妙洒脱な文章もさることながら、
【傘をさしていても、空気中をただよう細かな雨の粒子が傘の下に入りこんできて、ぼくらの顔や腕にぶつかる。
「サイダーの中を歩いているみたいだね」とお姉さんは言った。】
こんな思わず空想が広がり絵を描きたくなる様な描写やオノマトペや言葉の一つ一つのセンスがとても好きすぎる。
創作意欲が湧く作品っていうのはとても素晴らしいと感じる。
そして非現実的な様でとても人間らしい憎めぬ愛おしいキャラクター達。
名作ゲーム「ぼくのなつやすみ」が好きな方なら間違いなく好きな小説です。
キラキラした毎日と、ノスタルジーと、
切なさと。
主人公アオヤマ君は小学4年生らしからぬ論理的で研究熱心な、でもやっぱりまだまだ小学4年生な、男の子です。
背伸びして背伸びして論理的に物事を考えて、歯科医院のお姉さんや宇宙や小川を研究してるけど、人や自分の気持ちや感情には今ひとつ鈍感な可愛い少年。
自分のたったひとつの想いに気付きそれを語る最後の数段落には切なさと眩しさで胸が熱くなりました。
あとアオヤマ君の妹が死を自分のものに感じて泣くシーンは個人的に大変素晴らしいと思った。自分の体験を再上映された様だった。
あの時の足元から黒いものが押し寄せる感じは大変なのです。このシーンだけで一日は思想に更けれるなぁ。
毎日が楽しくて自分の住む街が世界の中心の様な、そして世界の果ての様な気がしていた子供の時。
あの頃に戻りたいと、だれもが思っているのではないのかなぁ。
この年になってから、そしてこの季節に読むと一層郷愁をもってしまう作品で、
私もアオヤマ君の様に昨日の自分に勝つ為に日々様々な事にアンテナを張って忘れない様にメモしたり考えたり描く事だけに全神経を集中させる生活をまたしたいし、そうなる努力をしたいと思います。
森見登美彦作品好きだよー!
オススメ。
『友情』武者小路実篤
ざっくりいうと、うまく話がすすんだ『こころ』って感じの物語。
わぁざっくり。
ある男性がある女性を好きになって、親友に仲をとりもってくれと頼んだらその女性は親友の方を好きになってしまって、それに気づいた親友がどうしよう…
と迷うパターンは小説の筋書きとしてはこれまで数え切れないくらい使われたでしょうけど、それなりにドラマティックでどろどろな話なのにこんなに爽やかといえるような結末を迎えるなんて、やはり幸福論者の哲学者が書いた話だなぁと思った。
武者小路実篤、とても人間が出来た人だったんだろうなぁとしみじみ感じた。
大学の卒論の関係で武者小路実篤の『幸福とは』も斜め読みしたけど、まぁその人間の出来てること出来てること。
私もこうありたいと常に思えるような哲学者ですよ。
それはさておき、いつの時代も人が1番心狂わすのは恋なのね~。ってしみじみ感じた。
主人公が恋に悶える姿がもう読んでて恥ずかしい。
イタい。笑
でもこういうの誰でも経験あるもんだよねーって生温かく見守れる。
そして「友情と愛情どちらを取るか」って永遠のテーマですね。
『こころ』では悲しく完成された(と私は思っているのですが)ものが、『友情』では清々しく完成されてたと思いました。
見方を変えればこういう作品はちょっと退屈で、説教くさくて、真っ直ぐ過ぎで、ブルジョアな本だとも思う。
読む人の感性や状態によって大分読まれ方は変わると思う。
私は西尾維新しかり森見登美彦しかりBUMPしかり、なんだかんだ捻くれても疑っても「結局人間が好きだし愛が全て」って謳うようなものがとても好きなので、そういう答えをストレートに美しく実直に謳うこの作品も好きです。
ただちょっとあまりに眩しすぎるのでやっぱり私には『こころ』の方が合ってるかな。笑